《十二か月推事記》

フジコです。推しのことについて。

花・Flower・華 ―四季を彩る―

GWですね。フジコです。

もう日付が変わって3日目になってしまったというのに、今更GW初日の話をします。

 

4/27(土)10連休初日はこちら↓

 

東京・恵比寿  山種美術館

「花・Flower・華 ―四季を彩る―」

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創立者は「山」崎「種」二さんだから、山種美術館横山大観上村松園川合玉堂といった明治を代表する画家たちと、直接親交を深めて蒐集した日本画コレクションがメインです。

当初は日本橋兜町にあったものが、千代田区三番町に仮移転、2009年に渋谷区広尾に移転しました。今回の展覧会は広尾での開館10周年記念の特別展でもあります。

 

作品鑑賞前に、國學院大学院友会館にて、日本近世美術史がご専門の東大名誉教授・静嘉堂文庫美術館館長である河野元昭先生による講演会『饒舌館長「四季の花-琳派の傑作-」公演す』(見事な七五調!)を聴講。

大学を卒業すると、その道の第一人者とも言える専門家のお話を直接聞く機会なんてほとんどなくなってしまうから、卒論執筆で大いに文献を参考にさせて頂いた河野先生のお話は是非聞きたいと申し込んだものの、当日は迫り来る眠気に耐えきれず、かなりうつらうつらとしてしまったのでした。大変申し訳ない…でも、とても楽しそうにお話をされる方でしたよ。

レジュメを見るに、もっとお話ししたいことは沢山あったのだろうけど、1時間半という限られた時間では琳派は語りきれないのです。多分予定の半分も話せてないんじゃないかな。

やはり美術史に関しては、お話を聞くのもいいけれど、論文を読むべきだなと思うのです。作品ありきの学問だから、文字や言葉だけだとどうしてもいまいち入ってこない。作品がしっかりと良い画質で印刷された大きめの本で、どの作品のどの部分について説明されているのか、図版と文字を照らし合わせながらじっくりと考えるのが、美術史学の醍醐味のような気がしています。

 

さて、この「花・Flower・華」という特別展、一昨年にも開催されています。

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前回のサブタイトルは「-琳派から現代へ-」。院友会館でご講演されたのは、武蔵野美術大学教授の玉蟲敏子先生でした。

 

今でこそ、季節に合わせた草花をじっくりと観察し、時には自分の好きな花を取り合わせて鉢植えなんかにして、あくまでも植物を作品の主人公として、季節の象徴として描くのは当たりまえになっていると思われますが、そもそもそれは植物そのものへの興味関心が無ければ成し得ないことではないでしょうか。

 

これほど四季の移ろいを趣として感じられる国は日本だけど言われるなか、私たちは一体草花をどのような目線で見て四季を感じるのか?

果たして、現代の私たちが草花に対して抱いている「四季を彩る」役割のイメージは、いつの時代からのものか?それはまさしく、「琳派から現代へ」が示す通り、江戸時代から脈々と受け継がれてきたものなのです。(なぜなら〜と続けたいところですがここまで来ると私の卒論の内容になっちゃうから割愛。話せば長い。)

 

明治以降の作品を見ていても、これは江戸時代に琳派無くしては生まれなかったものではないかと、それほどに琳派絵師たちの四季へのまなざしが後の時代に受け継がれていると、感じずにはいられないのです。

 

古きものを一掃してあらゆるものを新しく(廃仏毀釈までやっちゃうくらいの…)、近代的にしようと国家が推し進めた明治維新の最中でも、日本人の自然・四季に対する美意識だけは、絶やすことができなかった、絶やそうとも思わなかったのでしょうね。

 

さてさてー今日は光琳の燕子花を見に行きますわよ。