《十二か月推事記》

フジコです。推しのことについて。

自己免疫疾患にかかった話《発症編》

◆初期症状◆

2/15、なんか目の奥の方がちょっと痛い。どっちかというと左の方が強い。左目の視界の端の方に、太陽とか照明を直接見た時にしばらく映り込む影みたいなものが残っている。

その週の火曜日、休みなのに異様に仕事の問い合わせが多く、午前中ほぼずっと社用携帯を握っていて、ひと段落したときにどっと疲れが来たから、28になってついに眼精疲労が来たんだ、歳だなと考えていた。ちょうどその頃X(旧Twitter)でハズビンホテルのFAを漁りすぎていたし、単純にスマホの見過ぎなんだろうと思った。

普通に仕事はできるレベルだったから、午後に少し時間をもらっていつもの眼科に行ってみた。

視力検査と診察でも特に異常は無く、目の奥が痛いと言ったら、「目の奥は目じゃないので…」と若干呆れたように言われた。脳神経とかの方になってくるそうだ。まあ確かに言われてみれば目の奥は目じゃないんだけど、医療知識の無い一般人は「目の奥が痛い!これは目じゃなくて脳神経だ!」とはならんだろう。まあ眼精疲労かドライアイでしょうと言われて、とりあえずヒアルロン酸の目薬を処方されて様子見になった。

 

◆進行◆

2/17に友人の結婚式が都内であって、この日まではそこまで痛みも無く、ホテルの素敵なおフランス料理も平らげお酒も普通に飲んでいたのだが、それ以降仕事に支障が出るレベルの痛みになり深夜に痛みで起きるようになる。痛みが奥から手前の方にきてる。ホットアイマスクとか試しても和らぐ気配がない。え〜眼精疲労ってこんな辛いの?!これが眼精疲労だったら世の中の人間舞 毎日パソコンやらスマホやら見てる場合じゃないじゃん。しかもこの辺りから明らかに左目の視界の一部にグレーのモヤがかかって見えない部分が出始める。見えない部分を右目で補うせいか両目だとちょっと歪んで見える。

 

眼鏡に10万かけてる緑内障持ち眼科常連の母にあれこれ話したら、「目の奥は目じゃないなんて酷いじゃない。私が行ってる眼科、女性の先生が丁寧に診てくれるからそっち行ったら?」とセカンドオピニオンを勧められた。次の休みにその眼科に行ったら、女性の先生(院長)は休診日だったので若めの男性の先生に診てもらえた。よく話をきいてくださる優しい先生だった。瞳孔を開く目薬を指して目の奥の写真を撮りましょうと言われた。(眼底検査)

結果、左目の視神経に炎症が起きていた。視神経の炎症は原因が他にある可能性があるから、大学病院の紹介状出しますのでなるべく早く診てもらってくださいということだった。最初は家から徒歩圏内のド近所の大学病院になるはずだったが、混みすぎててすぐに診てもらえないとのことで、こっちなら明日にでも行けばその日に診てもらえるからと、千葉の中でも限りなく東京に近い大学病院の紹介状を渡された。私は総合病院密集地帯みたいなところに住んでいるのだが、意外と近くの病院には簡単には行けないものである。

偶然眼科の近くに来ていた母と合流してお昼を食べた。明日大学病院に行く話をしたら、付き添おうかと言ってくれた。もう28歳なのに、母が優しすぎてパスタを食べながらボロボロ泣いた。食べきれなかった。

 

翌日早速紹介された病院に向かった。受付が朝8時から11時までだというから8時半ぐらいに着くように頑張って早起きして行った。

担当医の先生は、クールビューティーな雰囲気の女性の方だった。母曰く、眼科は女性の先生が多いらしい。最初に診察し、視力検査から眼底検査、視野検査、血液検査(8本取られた)といろいろ検査して、もう一つ造影剤を使った検査もやりたいと言われた。点滴で蛍光造影剤を注入しながら視神経の写真を撮るもので、予約制の検査らしいが、ちょうど空きが出たからできるのだそうだ。今日を逃すと次は月を跨いでしまうというから、じゃあやりますとお願いした。造影剤は人によって吐き気がしたり、アナフィラキシーショックを起こしたりするので、同意書に署名を求められた。

人生で初めて点滴をした。序盤は大丈夫だったが、急に気持ち悪くなって1回えずいた。なんとか吐きはしなかったが、撮影が終わった後点滴を刺したところが痛んできて血圧が急低下しそのまましばし意識を失った。採血で迷走神経反射を起こして目眩がしたことはあったが、意識が飛んだのは初めてだ。タンカで検査室の隅の方のスペースに運ばれて、水の点滴をつながれてしばらく寝かされていた。先生がわざわざ診察室から出て様子を見に来てくれた。

 

検査の結果はやはり左目の視神経に炎症が起きているということで、前日行った眼科で処方されたビタミン剤と同じ薬を処方されて1週間様子見になった。

検査で満身創痍だったので、次の日の仕事は、まあ頑張れば行けなくもなかったが念の為休んだ。

 

◆診断◆

その後1~2日後は特に悪化する様子はなく、かといって特別良くなるわけでもなく、まあちょっと不便だがまだ運転はできるレベルだったので普通に車で出勤していた。ところが3日後の土曜日になって、車で外出してコンビニに車を止めた途端左耳に耳鳴りが起きた。今まで経験した耳鳴りの中では一番長いし大きいかもしれない。視界がゆがんだ状態で運転していたから、ついに三半規管がおかしくなったんだと思った。これは運転をやめれば治るだろうと思ったが治らなかったし、このあたりから視界のもやの範囲が急に広がって普通に運転が怖くなったので、翌日から歩いて通勤・外出するようにした。職場までは歩いていけない距離ではないが、さすがに体調が良くない状態で何日が歩いていたら足が痛くなってしまった。頭痛もしたし、髪の毛をちょっと触っただけでも頭皮が引っ張られるような変な感覚があった。

悪化するようであれば1週間後の予約を待たずに来てくださいと言われていたのですぐにでも病院に行きたかったが、不動産業界はこの時期一番の繁忙期で、今更誰にも引き継げない重要な仕事が連日入っていたので、結局予約した日まで行けなかった。

 

今度は父が付き添ってくれた。今年で70歳になるが、派遣の仕事をしている元気な父である。

この時には左目の視界の半分ぐらいはグレーのもやがかかって見えていない状態だった。完全に視覚障害者である。さすがにこの日は付き添いがあって本当に良かったと思う。

 

最初に視力検査をした。これがもうびっくりするほど見えない。「これは?」と聞かれてもそもそもどこのランドルト環が光ってるのかわからない。診察で目以外の耳や頭の症状もすべて伝え、前回やった眼底検査と視野検査、加えて胸部レントゲンと頭部CTまで撮った。

一通り検査の後再度の診察で、先生からついに病名が告げられた。まさかちゃんと病名があるものだとすら思っていなかった。

 

「今日の検査で、病名がはっきりしました。ちょっと長くて、”フォークト-小柳-原田病”っていうんですけど、、、」

 

あまりにも聞きなれない言葉の並びだったので、「ん??」と間抜けに聞き返してしまった。どんな病気かというと、通常体に害があるものが入ってきたときにやっつける働きをしてくれるはずの免疫が、間違って害のないものを攻撃してしまう自己免疫疾患の一つで、今回標的になっているのがメラニン色素を生成しているメラノサイトという細胞だそうだ。なので、メラニンが多く含まれている目や髄膜、耳に様々な症状が出るというのだ。耳鳴りがするというのがかなり決定打であったらしい。

単なる視神経炎にしてはちょっとイレギュラーな状態だったそうだが、1週間前はまだ症状が出揃っておらず、はっきりとした病名の特定までには至らなかったのだ。

治療法は入院でのステロイド投薬一択とのこと。最初の3日間は点滴で投与し、効き具合によって飲み薬に切り替えて徐々に量を減らしながら経過を見るという。

「今日からもう入院しますか?」

いやそんな即日入院なんて選択肢があるほど切羽詰まった状況なんですか。そもそも準備を何もしてないし、次の日の朝一の仕事だけは今更誰にも頼めない超重要業務だったため、翌日の午後からにしてもらった。

 

当然手元の文字は全然見えないので、入院に関する書類は全部父に代筆してもらった。

外はもう暗くなってしまっていて、照明が無いところでは段差が見えなかったり、向かいから来る自転車が認識しづらかったりして普通に怖いので、十何年ぶりに父と手をつないで帰った。

 

《入院編》に続く…