《十二か月推事記》

フジコです。推しのことについて。

推しを推すためだけに京都まで行った話

9月14日、私の目にとある美術館のイベント告知が飛び込んできた。

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細見美術館には行ったことがないけれど、琳派の作品を多く所蔵しているから気にはなっていて、アカウントをフォローしていた。

 

お茶とお菓子をいただきながら、屏風を間近で鑑賞し語り合う、しかも取り上げる作品は私の最推し、酒井抱一のものだというのだ。

 

茶をしばきながら推しについて語る?!😮

それはまさに「推す」行為そのものでは?!🤔🤔🤔

 

しかし京都?このためだけに京都まで??と若干の躊躇はありつつも、翌日(岡田美術館の金屏風展行った日。前回の記事参照。)小田原まで行く新幹線の車中であっさりと申し込んで参加を決め、せっかく行くのだからと7000円台の宿を取り、一泊二日の京都旅行が誕生日の翌日に突如組み込まれた。

 

普段ガラス越しでしか見ることのできない推しの作品を間近で鑑賞できる機会など、今後二度とあるかどうかもわからない。あったとしてもこの作品とは限らない。

参加費5000円とか実質タダ。(新幹線代ももちろん実質タダ。)

今行かずいつ行く、私が行かず誰が行く。

待ってて推し。24歳なりたてほやほやの私が推しに行くわ。

 

そして迎えた誕生日翌日。新幹線の中では某超次元サッカーアニメを2話分見たり、某新幹線変形ロボのopを少なくとも5回はリピートしてテンションを爆上げしたりしていた。

 

京都について伊勢丹で昼食。ちりめん山椒と生麩の乗った和風オムライスを食べた。京都の伊勢丹は駅と合体して巨大要塞みたいになっててすごかった。

 

細見美術館の最寄りは京都市東西線 東山駅平安神宮に行くと思しき人々に紛れて歩いて行くと、左側に煉瓦色の、意外と幾何学的な形をした建物が見えてくる。

イベントの会場は3階の茶室 古香庵。3階はベランダのようになっていて、大きな屋根の下に嵌め込まれた、ちょっと変わったつくりの茶室だった。茶室ってなにも、室内の一角に用意されていたり、日本庭園にひっそりと佇んでいる必要はないのだ。

 

受付の方にご挨拶して、名札を受け取り入室。

茶室ではすでに今回のテーマである酒井抱一《扇面貼交屏風》が、障子を介した外からの柔らかい光を受けて待っていた。

 

推しを前にした私は、

 「あ、どうも…………千葉から来ました………………………」

とさながらコミュ障キモオタクのような挨拶を心の中で述べることしかできなかった。

 

定刻まで自由に作品を鑑賞。作品の近くまで行くときは、時計、アクセサリー類を外し、タオル等で口元を覆うのがマナー。作品を傷つけたり、唾がついたりしてしまおうものなら、作品保護の観点から完全にアウト、それから推しに失礼。

 

間近に見る推しの作品は、推しが実在していたことをありありと感じさせてくれるもので、扇面一枚一枚に描かれたものは、まさに推しが見ていた世界そのもの、だと思う。私が勝手にそう思ってるだけかもしれないけど。

推しが見た美しいもの、思い浮かべた良いもの、側にあるとちょっとわくわくするものを、扇型の窓から覗かせてもらっている気分になった。

 

定刻になり、自己紹介がスタート。皆さまそれぞれ美術に対する想いを胸に、このイベントに参加したようだ。

どうやら関東から来たのは私だけで、皆さまの喋り方からはどことなく関西の香り。

私が千葉から来たことを告げたら軽く「おおっ」と声が上がる。まあそうだよなびっくりだよな。私もびっくりだ。

去年大学を卒業し、日本仏教美術史、とりわけ運慶研究の第一人者でいらっしゃる山本勉先生のゼミで酒井抱一の《十二か月花鳥図》を題材に卒業論文を書いたこと。そして優秀論文に選ばれたこと。私の人生の中で一番といっても過言ではない自慢を述べてしまった。

それから、第一印象で気に入った扇面はどれか。私はやはり花鳥画が大好きなので、一番右下の、水鳥が水面を揺らしながらあるく姿を描いたものが気に入った。

 

参加者は10名程度で大半が女性。母くらいの歳の方が一番多く、意外なことにお爺さんお婆さんはいない。案の定年上の方ばかりで、20代なんて私以外いないのだ。

 

講師は細見美術館の上席研究員でいらっしゃる岡野智子先生。

まずは岡野先生の作品解説から始まる。

解説とはいえ、難しい専門用語や歴史をつぶさに見ていくのではなく、大まかな日本絵画史の流れ、琳派とは何か、酒井抱一とは何者かといった、最低限の入門的な説明だ。鑑賞し、感じたことを自分の言葉にするだけならば、細かい知識は必要ない。

 

六曲一双の屏風だが、今回鑑賞するのは、スペースの都合もあって右隻のみ(正しくは「向かって右側、右隻としているもの」とするべきか)。

扇面に折り目が無いため、扇子として実際に使われたものではなく、画帖(小さな作品のアルバム的なもの)に収められたものが貼られたと考えられている。

てっきりこのセンスある扇子の配置(ダジャレだ笑え!)もてっきり推しが考案したものかと思いきや、金屏風に仕立てられたのは近代になってからのことだそうだ。豪壮な金ではなく、外の光を受けて仄暗い茶室で優しく煌めく、まさに「瀟洒」と呼ぶに相応しい金だ。

(抱一を語るのに「瀟洒」という言葉は欠かせない。私が卒論を書くときに初めて知って覚えた言葉。)

 

一通り説明が終わったら、再度自由に作品を鑑賞。

「よく見たら白い菊も描かれてる!」

「ほんとだ!さっきは気付かなかった」

「これはどこの景色を描いたものでしょう?」

「この植物はなんですか?」

ガラス越しでは気づけないであろう小さなモチーフを発見したり、ただの景色や植物として見過ごしてしまいそうなものに不思議と興味が湧いてきたり。

一つの作品をすぐ目の前に、思い思いに考え、発言する。こんなことは、大学でもなかなかできないかもしれない。この瞬間、参加者全員が抱一を推していた。

 

あっという間に終わりの時間が近づいてしまった。机にはお茶とお菓子が用意され、味わいながら今日の感想を述べる。

推しについては卒論で3万字も語ったはずなのに、いざ自分の口で感想を言葉にするとなると、存外難しい。確かに論文は自身の考察を述べるとはいえ、考察の元となる事実を文献から抜き出し並べた部分が大半なものだから、感想とは全く異なるのだ。結局、ちゃんとした文章で話せたのかどうか、いまいち記憶にない。

 

私はやはり抱一の花鳥画がとてつもなく好きなので、一番右下の鳥の扇面が最も好きなことは第一印象から変わらなかった。

私は、鳥やカエル、トカゲ、蝶など、自然の中の生き物を見るとすぐに写真を撮りたくなってしまう。「あっ、可愛いな」「あら綺麗」と思う。飾り気のない普段の彼らの生活の一瞬を、残しておきたくなる。生き物が好きな人なら、同じような人は多いのではないだろうか。

抱一の花鳥画からは、それと似たようなものを感じるのだ。

私は勝手に抱一との親近感を覚えていて、だから彼の作品が好きなのだ、といった話をしたような気がする。

 

彼が生きた時代には、今で言う図鑑が多く出版され、江戸全体で植物・生物に対する関心が高まっていた。決して学者のような専門知識を持っているわけではなくとも、人々は草木や生き物を身近に感じ、観賞したり、育てたりしていた。純粋に、可愛い、美しいものを愛でる。抱一の作品は、当時の江戸の人々が植物や生物に向けていた視線そのものなのであろうと思う。

 

会が終わってから、近くの席に座った方に話しかけられ、そのまま話し込んでしまった。やはり私ぐらいの年齢の人がこうしたイベントに顔を出すのは珍しいようだ。

 

日本画が好きだと言うと、必ずと言っていいほど「浮世絵?」と聞かれる。

確かに浮世絵に興味がある人は多い。見た目のインパクトが強くて、北斎歌麿写楽国芳といった名前は普段美術館に行かない人でも知っているだろうし、大きな展覧会が開かれれば、行ってみようかなと思う人も多いだろう。しかし、多くの人が思い浮かべる浮世絵は、江戸時代でもかなり後に生まれたものが多く、そこに至るまでにありとあらゆる美術が生み出された歴史があるのだが、それが果たしてどのようなものか、すぐにイメージできる人は少ない。

思えば、学校の美術の授業で習ったのは近代の西洋画家ばかりだった。

日本史で習う美術は、○○文化、△△文化と区切られて、おまけ要素のように少しだけ挟まっているような感じだ。文化は徐々に徐々に変化していくもので、実際は名付けられるほどブツ切りのものではない。たとえば歴史の区分上室町時代から安土桃山時代に移り変わったからといって、その時から突然文化が別のものに入れ替わってしまうわけではない。学校で習う歴史では、文化にも歴史の流れ、繋がりがあることを感じられない。

もっと学校で、自分の国の美術について学ぶ機会があってもいいのではないか。

 

こんな話を親以外の人と、しかも初めて出会った人とできるとは思わなかった。共感してもらえると、人は嬉しい。

 

皆さん帰ってしまって、結局一番最後まで残ってしまった。すると岡野先生が話しかけてくださって、「山本先生のゼミで抱一を題材に論文を書いた学生がいたのを、大学案内を読んで知っていた」とのこと。なんと驚き。自慢は話してみるもんである。まさか、その学生が社会人になった今、京都まで来てこの場に現れるとは思いもしなかったでしょう。

(自分のことが大学案内で抱一論文の女として紹介されてるのは知らなかった。嬉しいので全然構わないが。)

 

岡野先生はちょっと待ってて、としばらく裏に姿を消した後、私に名刺を下さった。何か連絡を取りたい場合はここに、と。

大学は、研究者と間近に関わり合える非常に貴重な場所なのだ。大学を出てしまった今、もうこんな機会は訪れないと思っていた。

こんなに有り難く、素晴らしいことがあるだろうか。推しが繋げてくれた縁。もしも今推しを推していなかったら、大学での研究対象で完結していたら、この経験は絶対にできなかっただろう。

推しを推し続けたことによる奇跡。

これからも一生、推して推して、推す。

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夕飯の食後に飲んだ、前田珈琲の「龍之介」。

とんでもなく飲みやすいのでおススメです。

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