《十二か月推事記》

フジコです。推しのことについて。

円山応挙から京都近代画壇へ

フジコです。

1ヶ月以上ぶりの更新になってしまいました。

どこも行ってなかったわけではなく、お盆期間だけでも4件行ってました。

ただなんでもかんでも文章にして書けるわけではないので、自分なりの考察めいたものが浮かんでアウトプットしたいものだけ書いていくことにします。

感覚的に綺麗だなー可愛いなーすごいなーと思いながら見たものは、変に文章にしようとすると陳腐なものになりそうなので…

 

前置きはこのぐらいで、さて今回はこちら↓

 

 

東京・上野  東京藝術大学大学美術館

円山応挙から京都近代画壇へ」

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前期と後期で大幅に展示替え。前期は8/9、後期は9/7に行きました。前期で次回のリピート割引券をもらったので、後期はちょっとお安く行けました。(後期行った時もまた割引券もらえた。欲しい人いたらあげます。)

 

展示の目玉は、応挙とその弟子たちが手がけた兵庫県 大乗寺の障壁画。大乗寺に行って実際にお寺の中で見られるのはレプリカですが、なんと本物が来ています。

この展覧会は東京で開催された後、京都国立近代美術館に移ります。見られる作品も異なり、障壁画も部分を替えて展示されます。

特に見所となる応挙の《松に孔雀図》は、東京では一本の松に一羽の孔雀、京都では二本の松に二羽の孔雀が描かれた場面を選んでいます。

前者は松の枝と孔雀の尾羽が、左上から右下に向かって視線を誘導するように平行に伸び、空間表現を活かした簡素且つ瀟洒花鳥画

後期は番の孔雀に覆いかぶさるように松の枝葉が茂り、ユートピアのような雰囲気を醸し出す様は、探幽以前の狩野派花鳥画を彷彿とさせます。

江戸好みと京好み。一つの作品から二つの側面を見出した企画者の鑑賞眼が伺えます。

 

この《松に孔雀図》ですが、金地に墨一色で描かれたはずなのに、松の羽は深い緑に、枝や幹は濃い茶色に、孔雀の羽はきらきらと輝く瑠璃紺に見えるのです。私たちの脳が勝手に色をつけているのでしょうか。ここまで観者の色彩感覚を刺激する水墨画は、それまで描かれてきたものとは一線を画しています。

 

大乗寺は、一昨年ゼミ合宿で実際に行っています。仏像専門のゼミではあったのですが、日本画を卒論のテーマに据えた私がいるのだからと、大乗寺を行き先の一つに加えることになりました。(収蔵庫で本物を見せて頂きました。夏だったのでおそらく通常は公開していない時期です。大学のゼミの力はすごい。)

障壁画のある客殿は、部屋の位置する方角と描かれているものから、空間全体が立体曼荼羅になっているのではないかという説があります。応挙は単なる絵師だけではなく、工房のリーダーとして空間プロデューサー・演出監督的な役割も担っていたと考えられるでしょう。

 

さて、これほどの大作を描き上げられるほど、応挙には多くの弟子がいたのですが、彼の写生に基づく新しい画風と独自の空間表現を江戸に広めた絵師がいました。渡辺南岳といいます。

南岳は酒井抱一(推し)や谷文晁らと交流し、円山派を江戸の文化人たちの間に広めました。

今回出展された南岳の作品の一つ《木兎図》では、木の幹を反転させたくの字に折り曲げ右側の空間を生かしています。

このような配置の仕方は、推しの《十二か月花鳥図》の中にも見られ、宮内庁本9月の構図と類似しています。

応挙の弟子である南岳が江戸で推しと交流し、応挙の技法を伝えた、南岳と推しの作品には共通点が見られるということは、推しが円山・四条派の影響を受けたことを示す確固たる証拠ではないでしょうか。私が勝手に確信しているだけかもしれませんが、こうして推しのルーツを辿っていって自分の中で納得する瞬間があるのが最高に楽しいのです。だから日本美術を見に行く。

 

卒論で花鳥画の歴史と変遷を書くにあたって、あまりにも細かく書いてるとテーマの本質が見えなくなる&そんな時間は無いという理由から、円山・四条派から派生した岸派や森派は省いてしまったのだけれど、きっとこの辺りまで詳しくやったらもっと面白いのだろうなと、本当に嘴がこちらに向けられているのかと錯覚するほどに立体的な岸駒の孔雀図を見て思うのです。花鳥画の魅力は尽きない。