《十二か月推事記》

フジコです。推しのことについて。

チャームポイント

私の大好きな推し上司は、真面目で几帳面な"ザ・A型"性格で、でも話しやすくて面白くてお茶目なところがあって、優しくて人望があって気遣いができて、相手に安心感を与えられる素晴らしい人なのですが、欠点がひとつ。

 

字が汚い。学校の先生に「お前もうちょっと字丁寧に書けよ〜」と言われるやんちゃな男子小中学生のような字を書く。うかんむりは最早なべぶただし、線は点になっている。

汚い上に、割と漢字自体が間違ってる。松野家の次男みたいな間違え方をする(わかる人にしかわからない例え)。あるいはうろ覚えで書いたんだろうなっていう微妙な漢字を書く。

 

ホワイトボードに書かれた行き先が読めなくて、ほんとにどこに行ったのかわからなかった時があった。

赤字で修正点を書いた紙を渡されたものの、どう頑張っても自力では読めず、周りの人に聞いても誰も読めず、当の本人はなかなか席に戻って来ず、たった漢字二文字が読めないだけで作業が進められないこともあった。

そして今日は、ホワイトボードに書いた在宅勤務の「勤」の字が間違っていた(左側が「難」と同じになっていた)。

 

でもこれはチャームポイントです。人間誰しも弱みはあるけど、圧倒的な強みでカバーできればチャームポイントになるんですよ。

ホワイトボードの漢字が間違ってたら、私が描き直してあげるので大丈夫。

これは部下の優しさです。

いつも優しくしてもらってるので。

私の大好きな上司は、絶対に部下をほっといてはくれない

初日から最悪なニュースです。今月からしばらく推し上司と休みが違う曜日になってしまいます。推し上司に会える曜日が二日間減ります。無理。無理です。私は弊社を許さない。

 

年が明けて、なんとか今年度の数字を作るため、新しい(というより期間限定の)体制への変更により、私は組織図上は推し上司直属であることに変わりはないのですが、実質は部長の直属部隊のようになっています。

 

休み明けということもあり、今日は現場の状況を一通り見てきてと部長からお達しがありました。そして昼前頃、千葉県には珍しい雪が降ってきたのです。

 

1週間以上運転してないけど、雪の中新年一発目のドライブか〜まあ千葉県だし、道路は積もらないかな。交通安全のお守り買ったし、安全運転で頑張るしかないかなーと思いながら、車を取りに一時帰宅しました。

※実家から職場があまりにも近すぎるので、車乗るときは一回家に帰って車を取ってきています。

 

ちょうど家に着いたとき、推し上司から突然電話が来て、

 

「今どこ?」

家です。お昼食べてそのまま車で出ようかと思って。

「タイヤ、スタッドレスなの?」

いいえ。

「大丈夫なの?」

大丈夫…なんですかね。どうなんでしょう。私もそれは思ったんですけど、会社的には、、、

「やめた方がいいよ。すぐ止む保証もないし。」

でも部長から、今日現地見てきてって言われてるんです。

「部長に言われたの?じゃあ俺から部長に言っておくよ。また電話する。」

 

数分後、

「部長も、行かなくていいって!」

 

結局現地は見に行かず、お昼食べるためだけに家に帰った人になったのでした。(サッポロ一番を茹でた)

 

休みの曜日は違うし、私の担当案件に関する会議に上司として同席できなくなったし、私だけ他の部下と違う業務をすることになっちゃったし、少なくともこの体制でいる間は、私は推し上司の部下じゃなくなるんだと思っていたので、まさかこんなに気にかけてもらえるなんて思っていませんでした。後で事務さんに聞いた話ですが、私がホワイトボードに書いた外出予定を見て、「ダメでしょ行かせちゃ!」と言っていたそうです。

 

部長は最初、「大丈夫だと思うけどな〜」と言っていたそうですが、推し上司は曲げず、確かに軽だからやめとくかと部長が折れたそうで、推し上司の予想通り雪は止まないどころかどんどん降り積もり、社員には早々に帰宅命令が出たのでした。

(部長も優しくていい人です!ただ大胆なところがある)

 

もしあのまま車で出ていたら、帰れなくなっていたかもしれないし、事故に遭うか、事故を起こしていたかもしれません。新年早々、また推し上司に助けてもらいました。助けてもらいっぱなしなのですが、どう恩返しをしたらいいでしょう。今回のことだけでも、感情が溢れそうになるので「ありがとうございます」と伝えるだけで精一杯だったのですが。

 

4月に入社してくる新卒の子たち、覚悟しておいた方がいい!この人の下に配属されたら最後、絶対にほっといてもらえないぞ!

 

近況

単刀直入に話しますと、私は今42歳の既婚男性に恋をしています。

ツイッターで散々「推し上司」と呼んでいる人物です。もともとそれなりに推してはいたのですが、たぶん11月の頭ぐらいから、好きです。

 

先にことわっておきますが、相手は既婚者なので、何もしません。既婚者なんてあり得ない、現実を見ろ、他の男を探せ、そういった意見は一切受け付けておりません。愚かだと一番わかっているのは自分です。

 

初恋かどうかはわかりません。大学の友達(女子大なので、女の子です)に「これは恋かもしれない」という感情を抱いたことはありますが、どうやらそれは世間一般が言う恋とはちょっと違ったみたいです。

 

幼稚園〜小学校では、好きな男の子にバレンタインチョコを渡す!と言った友達を不思議そうに眺めていたし、中高の恋バナは当然ついていけないので苦手だったし、「どんな人が好み?」という質問には終始首を傾げていました。なので26年間生きてきて、彼氏がいたことは一度もないのです。いたら毎日連絡しなきゃいけないのかしら?デートの時間も確保しなきゃいけないのかしら、そりゃ面倒だなと思っていました。

だから、異性に対して「付き合いたい」と思ったのは全くの初めてなのです。

 

告白をされたこともなかったので、なるほどそもそもそういうものを引き寄せない人間なのかねと思っていたら、前職を辞めた日、派遣先の人から長文のLINEで告白されました。相手の年齢は40代半ばぐらいだったと思います。25歳にして、人生で初めて真剣に愛の告白を受けたわけです。

反吐が出るほど気持ち悪くて、1年ぐらい誰にも言わなかった話です。返信は不要ですとあったので何も返しませんでした。

 

みんながしてるような恋愛はしない人間だと思っていたので、所謂アセクシャルとかアロマンテイックとか呼ばれるものかと思っていたのですが、どうやらそうではないらしいです。今すっごく楽しいんだけど、みんなもっと若い頃からこんな楽しいことしてたの??まあ、恋愛的志向・性的指向は流動的なものっていうので今後はわかりませんが、、、

 

私は今26歳なので、推し上司は16歳年上です。

実は、うちの父と母が14歳差の社内結婚なんです。母が新卒で入社した頃、父は同じ部署の課長代理だったそうな。(父は1年ぐらいで異動になったらしいけど)

母「聞けばいろいろ教えてくれたけど、当時から話が長いなとは思ってたわね。まさか結婚するなんて思わなかった。」 そりゃそうだ。

結婚当時、母25歳、父39歳。母寿退社。すげー。

 

私は小さい頃から大人とよく話す子供だったみたいで、男女限らず数年だけ上の人間に確かに恐怖心を抱いていました。友達の家に遊びに行ってお兄ちゃんお姉ちゃんの友達とかいるのが怖かったし、2学年ぐらい上の子から、苗字が同じってだけで「○○の妹?!」とか大声で聞かれるのが恐怖でしかありませんでした。(私は一人っ子です)

小学2年生の頃、廊下で騒いでる3年生がうるさくてしょうがなかったのを今でも覚えています。

母の友人や、父が入っていた合唱団の人たちと会う方が、楽しかったしなぜか気が楽でした。

 

中学高校の部活と大学のサークルは先輩方が皆さん優しくてそんなことはなかったけど、社会に出て最初に入った会社は、2,3年目の先輩はもちろん、配属された支店で一番歳が近い4年目の先輩も怖かったです。何か仕事を教わった記憶は無い。(歳が近い人だけじゃなくて同期も含め全体的に怖かった気がするので、環境が悪かったんだと思います)

 

次に入った会社は人材派遣会社だったので、社内の人から具体的な業務を教わったわけではなく、研修でタイピングとWord・Excelを叩き込まれたぐらい。(最低限それくらいできないと、"不良品"になってしまいますから!)

派遣先の人はあくまでも別の会社の人なので、それはもうマニュアル的なものでした。そもそも派遣はマニュアル以外のことは基本的にできないし。

 

今の会社に入って最初にOJTについたのが、まだ役職がついてなかった頃の推し上司で、今私がしている仕事(というか結果的に私とごく一部の限られた人間しかできなくなってしまった仕事)の基礎を教えてもらいながら、まるで助手のようについて回っていたわけです。1ヶ月間ぐらいだけど。

なので、社会に出て初めてちゃんと仕事を教わった人と言ってもいいでしょう。

ぱっと見は堅物な印象でしたけれど、実際話すとそうでもなくて、というより寧ろ話しやすくて、学生時代何してたかとか、前職のこととか、遠くまで行くことも多かったので車での移動中にいろいろ話したりしました。

 

私「2,3歳上とかよりもっと歳上の人の方が話しやすい気がする」
母「そうねぇ私もそう思ってたら14歳も上の人と結婚しちゃったわね」

ああ私は間違いなくこの女の腹から産まれた人間だ。もし彼が未婚だったら、ひと回り以上上の男と社内恋愛する極意を意地でもその口から吐き出させようと、実の母の胸ぐらを掴んでいるところだった。あぶない。

 

私も推し上司も1年以上ずっと本店から動かずいるわけですが、会社の組織上、上司ではありませんでした。ただ一時期仕事を教わっていた先輩だったのですが、昨年10月から組織が変わって正式に直属の部下になりました。またお世話になります、と。

 

ところがどっこい!まだ3ヶ月しか経ってないというのにまた体制を変えるとか言いやがったので私は推し上司の手からまたしばらく離れることになってしまいましたとさ!弊社は中長期的な目線で考えるのが大の苦手だから社内の体制がコロコロ変わるぞ!しかも休みの曜日まで変わるかもしれない疑惑があって、それだと会える日数が減る!それだけはぜったいにゆるさない!!!!

 

会社はどう考えてもまともじゃないけど、優しいビッグボス(部長)をはじめ、あらゆる業界から中途入社で集いし愉快な中間管理職のおっさん達(推し上司含む)や、可愛くて元気な後輩ちゃん達など、とにかく人には恵まれて楽しくやってます!!結局は人!!!仕事初め頑張っていこうな!!!!!

 

ちなみに今年の恋愛運は

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「他人の言動に惑わされるな」だそうです。

どういう意味でしょうね?

 

近況と推し納め

もう最後の更新から2ヶ月くらい経ってしまったようなのですが、本日推し納めをしてきたので、今年行ったもので書けていなかったものをまとめてしまおうと思います。

 

一つ目はこちら↓

 

東京・上野  東京国立博物館

正倉院の世界-皇室がまもり伝えた美-」

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恐らく誰もが日本史の教科書や便覧で目にしたことがあるであろう《螺鈿紫檀五弦琵琶》。

その実物が東京で見られるチャンスです。

琵琶は基本四弦で、五弦の琵琶はこれしか現存してないんだとか。しかも当時の最高峰の技術で装飾が施され、現代の技術でも再現は相当難しい。そりゃ国宝にもなりますわ。

 

教科書で載ってるのは大体表側だけだと思うのだけど、実は裏側こんな風になっているんです。

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これはシアターの画面を撮ったものですが、裏側には螺鈿と鼈甲の花が敷き詰められています。

さらに裏だけでなく側面にも、余すところなく装飾が敷き詰められているんです。

 

五弦琵琶の周りをぐるっと一周。人が多すぎる為立ち止まって一部分をまじまじと見ることはできませんが、まさに「宝物」の威厳を間近で感じることができました。

 

それから面白かったのは香木。ぱっと見はただの流木ですが、火鉢に入れるとそれはそれは芳しい香りがするのだそうです。

目玉は蘭奢待(らんじゃたい)と呼ばれた黄熟香。蘭奢待の漢字の中に、「東大寺」が含まれています。明治天皇を始め、織田信長足利義政といった歴史上の人物達がその香りを求め、一部分を切り取った跡がちゃんと残っています。

言葉や音は残すことができても、当時の香りをそのまま残すことは現代のテクノロジーを駆使してもできないでしょう。今その香りを知る人がいないところに、ちょっとミステリアスな魅力があります。

 

正倉院では、紙屑や糸屑、木屑といった、一見ゴミのようなものでも、"塵芥"と呼び、宝物の一部として大切に保管されています。材質によって分類され、日々研究が進められています。もしかしたら今は塵芥でも、数年後にはつなぎ合わされて形を成しているものがあるかもしれません。

 

これからも末永く、まもり伝えられてほしい名品ばかりでした。

 

二つ目は昨日行ったばかりのこちら↓

 

静岡・熱海  MOA美術館

琳派を楽しむ-光悦・宗達光琳・乾山・抱一-」

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MOA美術館は尾形光琳の国宝《紅白梅図屏風》を所蔵していることで有名ですが、なかなか行く機会が無かったので、2019年推し納めということで。

 

熱海駅からバスで10分程度。ICでのお支払いができないので注意。ぶっちゃけ不便。

 

急勾配急カーブをバスで駆け上がると立派なエントランスが。チケットを買って入館すると、「エスカレーターを7つお上がりください。」

 

7つ??????

そんなに上の階にあるのかととにかく上がる上がる。展示室にたどり着くまで本当に7つありました。

 

展示はタイトルの通り、明確なテーマがあるというよりは、純粋に琳派を楽しむ、琳派の作家を一人ずつ紹介していくといった具合でした。

お気に入りは乾山の小さいやつと、

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推しと蒔絵師の原羊遊斎がタッグを組んだ江戸モダンなかっこよさがある火鉢、

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それから「これぞ抱一」と言わんばかりの三幅掛け軸。

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そしてここは撮影ok。しかも低反射ガラスを使用しているから作品がくっきり見える!正面から見ると本当にガラスが無いように見えるのです。ガラスの存在に気づかずうっかり触ってしまった跡が至るところに…隣のおばさんはおでこをぶつけていました。

 

意外と見て回るのに時間はかからず、予定よりも早く帰れたので駅から近いって大きいなと実感。新幹線乗っちゃえばすごく気軽に来れる熱海。箱根の方が時間かかるし遠出した感が凄い。(岡田美術館は展示見るのに5時間かかるし…)

 

来年も素晴らしい作品に会えますように。

箱根登山鉄道が復旧したらまた箱根にも行こう。

2020年は東博からスタートします!

 

 

推しを推すためだけに京都まで行った話

9月14日、私の目にとある美術館のイベント告知が飛び込んできた。

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細見美術館には行ったことがないけれど、琳派の作品を多く所蔵しているから気にはなっていて、アカウントをフォローしていた。

 

お茶とお菓子をいただきながら、屏風を間近で鑑賞し語り合う、しかも取り上げる作品は私の最推し、酒井抱一のものだというのだ。

 

茶をしばきながら推しについて語る?!😮

それはまさに「推す」行為そのものでは?!🤔🤔🤔

 

しかし京都?このためだけに京都まで??と若干の躊躇はありつつも、翌日(岡田美術館の金屏風展行った日。前回の記事参照。)小田原まで行く新幹線の車中であっさりと申し込んで参加を決め、せっかく行くのだからと7000円台の宿を取り、一泊二日の京都旅行が誕生日の翌日に突如組み込まれた。

 

普段ガラス越しでしか見ることのできない推しの作品を間近で鑑賞できる機会など、今後二度とあるかどうかもわからない。あったとしてもこの作品とは限らない。

参加費5000円とか実質タダ。(新幹線代ももちろん実質タダ。)

今行かずいつ行く、私が行かず誰が行く。

待ってて推し。24歳なりたてほやほやの私が推しに行くわ。

 

そして迎えた誕生日翌日。新幹線の中では某超次元サッカーアニメを2話分見たり、某新幹線変形ロボのopを少なくとも5回はリピートしてテンションを爆上げしたりしていた。

 

京都について伊勢丹で昼食。ちりめん山椒と生麩の乗った和風オムライスを食べた。京都の伊勢丹は駅と合体して巨大要塞みたいになっててすごかった。

 

細見美術館の最寄りは京都市東西線 東山駅平安神宮に行くと思しき人々に紛れて歩いて行くと、左側に煉瓦色の、意外と幾何学的な形をした建物が見えてくる。

イベントの会場は3階の茶室 古香庵。3階はベランダのようになっていて、大きな屋根の下に嵌め込まれた、ちょっと変わったつくりの茶室だった。茶室ってなにも、室内の一角に用意されていたり、日本庭園にひっそりと佇んでいる必要はないのだ。

 

受付の方にご挨拶して、名札を受け取り入室。

茶室ではすでに今回のテーマである酒井抱一《扇面貼交屏風》が、障子を介した外からの柔らかい光を受けて待っていた。

 

推しを前にした私は、

 「あ、どうも…………千葉から来ました………………………」

とさながらコミュ障キモオタクのような挨拶を心の中で述べることしかできなかった。

 

定刻まで自由に作品を鑑賞。作品の近くまで行くときは、時計、アクセサリー類を外し、タオル等で口元を覆うのがマナー。作品を傷つけたり、唾がついたりしてしまおうものなら、作品保護の観点から完全にアウト、それから推しに失礼。

 

間近に見る推しの作品は、推しが実在していたことをありありと感じさせてくれるもので、扇面一枚一枚に描かれたものは、まさに推しが見ていた世界そのもの、だと思う。私が勝手にそう思ってるだけかもしれないけど。

推しが見た美しいもの、思い浮かべた良いもの、側にあるとちょっとわくわくするものを、扇型の窓から覗かせてもらっている気分になった。

 

定刻になり、自己紹介がスタート。皆さまそれぞれ美術に対する想いを胸に、このイベントに参加したようだ。

どうやら関東から来たのは私だけで、皆さまの喋り方からはどことなく関西の香り。

私が千葉から来たことを告げたら軽く「おおっ」と声が上がる。まあそうだよなびっくりだよな。私もびっくりだ。

去年大学を卒業し、日本仏教美術史、とりわけ運慶研究の第一人者でいらっしゃる山本勉先生のゼミで酒井抱一の《十二か月花鳥図》を題材に卒業論文を書いたこと。そして優秀論文に選ばれたこと。私の人生の中で一番といっても過言ではない自慢を述べてしまった。

それから、第一印象で気に入った扇面はどれか。私はやはり花鳥画が大好きなので、一番右下の、水鳥が水面を揺らしながらあるく姿を描いたものが気に入った。

 

参加者は10名程度で大半が女性。母くらいの歳の方が一番多く、意外なことにお爺さんお婆さんはいない。案の定年上の方ばかりで、20代なんて私以外いないのだ。

 

講師は細見美術館の上席研究員でいらっしゃる岡野智子先生。

まずは岡野先生の作品解説から始まる。

解説とはいえ、難しい専門用語や歴史をつぶさに見ていくのではなく、大まかな日本絵画史の流れ、琳派とは何か、酒井抱一とは何者かといった、最低限の入門的な説明だ。鑑賞し、感じたことを自分の言葉にするだけならば、細かい知識は必要ない。

 

六曲一双の屏風だが、今回鑑賞するのは、スペースの都合もあって右隻のみ(正しくは「向かって右側、右隻としているもの」とするべきか)。

扇面に折り目が無いため、扇子として実際に使われたものではなく、画帖(小さな作品のアルバム的なもの)に収められたものが貼られたと考えられている。

てっきりこのセンスある扇子の配置(ダジャレだ笑え!)もてっきり推しが考案したものかと思いきや、金屏風に仕立てられたのは近代になってからのことだそうだ。豪壮な金ではなく、外の光を受けて仄暗い茶室で優しく煌めく、まさに「瀟洒」と呼ぶに相応しい金だ。

(抱一を語るのに「瀟洒」という言葉は欠かせない。私が卒論を書くときに初めて知って覚えた言葉。)

 

一通り説明が終わったら、再度自由に作品を鑑賞。

「よく見たら白い菊も描かれてる!」

「ほんとだ!さっきは気付かなかった」

「これはどこの景色を描いたものでしょう?」

「この植物はなんですか?」

ガラス越しでは気づけないであろう小さなモチーフを発見したり、ただの景色や植物として見過ごしてしまいそうなものに不思議と興味が湧いてきたり。

一つの作品をすぐ目の前に、思い思いに考え、発言する。こんなことは、大学でもなかなかできないかもしれない。この瞬間、参加者全員が抱一を推していた。

 

あっという間に終わりの時間が近づいてしまった。机にはお茶とお菓子が用意され、味わいながら今日の感想を述べる。

推しについては卒論で3万字も語ったはずなのに、いざ自分の口で感想を言葉にするとなると、存外難しい。確かに論文は自身の考察を述べるとはいえ、考察の元となる事実を文献から抜き出し並べた部分が大半なものだから、感想とは全く異なるのだ。結局、ちゃんとした文章で話せたのかどうか、いまいち記憶にない。

 

私はやはり抱一の花鳥画がとてつもなく好きなので、一番右下の鳥の扇面が最も好きなことは第一印象から変わらなかった。

私は、鳥やカエル、トカゲ、蝶など、自然の中の生き物を見るとすぐに写真を撮りたくなってしまう。「あっ、可愛いな」「あら綺麗」と思う。飾り気のない普段の彼らの生活の一瞬を、残しておきたくなる。生き物が好きな人なら、同じような人は多いのではないだろうか。

抱一の花鳥画からは、それと似たようなものを感じるのだ。

私は勝手に抱一との親近感を覚えていて、だから彼の作品が好きなのだ、といった話をしたような気がする。

 

彼が生きた時代には、今で言う図鑑が多く出版され、江戸全体で植物・生物に対する関心が高まっていた。決して学者のような専門知識を持っているわけではなくとも、人々は草木や生き物を身近に感じ、観賞したり、育てたりしていた。純粋に、可愛い、美しいものを愛でる。抱一の作品は、当時の江戸の人々が植物や生物に向けていた視線そのものなのであろうと思う。

 

会が終わってから、近くの席に座った方に話しかけられ、そのまま話し込んでしまった。やはり私ぐらいの年齢の人がこうしたイベントに顔を出すのは珍しいようだ。

 

日本画が好きだと言うと、必ずと言っていいほど「浮世絵?」と聞かれる。

確かに浮世絵に興味がある人は多い。見た目のインパクトが強くて、北斎歌麿写楽国芳といった名前は普段美術館に行かない人でも知っているだろうし、大きな展覧会が開かれれば、行ってみようかなと思う人も多いだろう。しかし、多くの人が思い浮かべる浮世絵は、江戸時代でもかなり後に生まれたものが多く、そこに至るまでにありとあらゆる美術が生み出された歴史があるのだが、それが果たしてどのようなものか、すぐにイメージできる人は少ない。

思えば、学校の美術の授業で習ったのは近代の西洋画家ばかりだった。

日本史で習う美術は、○○文化、△△文化と区切られて、おまけ要素のように少しだけ挟まっているような感じだ。文化は徐々に徐々に変化していくもので、実際は名付けられるほどブツ切りのものではない。たとえば歴史の区分上室町時代から安土桃山時代に移り変わったからといって、その時から突然文化が別のものに入れ替わってしまうわけではない。学校で習う歴史では、文化にも歴史の流れ、繋がりがあることを感じられない。

もっと学校で、自分の国の美術について学ぶ機会があってもいいのではないか。

 

こんな話を親以外の人と、しかも初めて出会った人とできるとは思わなかった。共感してもらえると、人は嬉しい。

 

皆さん帰ってしまって、結局一番最後まで残ってしまった。すると岡野先生が話しかけてくださって、「山本先生のゼミで抱一を題材に論文を書いた学生がいたのを、大学案内を読んで知っていた」とのこと。なんと驚き。自慢は話してみるもんである。まさか、その学生が社会人になった今、京都まで来てこの場に現れるとは思いもしなかったでしょう。

(自分のことが大学案内で抱一論文の女として紹介されてるのは知らなかった。嬉しいので全然構わないが。)

 

岡野先生はちょっと待ってて、としばらく裏に姿を消した後、私に名刺を下さった。何か連絡を取りたい場合はここに、と。

大学は、研究者と間近に関わり合える非常に貴重な場所なのだ。大学を出てしまった今、もうこんな機会は訪れないと思っていた。

こんなに有り難く、素晴らしいことがあるだろうか。推しが繋げてくれた縁。もしも今推しを推していなかったら、大学での研究対象で完結していたら、この経験は絶対にできなかっただろう。

推しを推し続けたことによる奇跡。

これからも一生、推して推して、推す。

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夕飯の食後に飲んだ、前田珈琲の「龍之介」。

とんでもなく飲みやすいのでおススメです。

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金屏風展-狩野派・長谷川派・琳派など-

これぞ黄金の国・日本

 

フジコです。

転職活動を始めました。いや本格的に始めるのはもうちょい先ですが。

 

せっかくの三連休なので足を伸ばしてこちら↓

 

 

神奈川・箱根  岡田美術館

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このためだけに、ここに来る。

某新幹線変形ロボのオタクになってから新幹線代が高いと感じなくなったので、これからは新幹線で来ることにしました。

速くて快適。東京から小田原まで30分。むしろ小田原から岡田美術館までの方が時間かかる。

 

所蔵品の中から展覧会のテーマに沿った作品を1フロアに集めて展示するスタイルの岡田美術館。今回のテーマは金屏風です。

屏風自体は中国で発祥して日本にもたらされたものですが、黄金で装飾した「金屏風」は日本ならではの美術品として、アジアやヨーロッパの国王に贈られ、たいへんに喜ばれていたそうです。

3階が企画展フロアになっていて、1,2階は前回も見たからさらっと流し見でいいかなーなんて思っていたものの、展示作品や配置が若干変わっていたりして、なんだかんだで常設展だけで2時間以上はかけていました。

 

3階展示室の扉が開いた瞬間はまさに圧巻。

真っ黒な部屋一面に眩い黄金の輝きが広がって、まるで展示室自体が金屏風の中の世界のようでした。岡田美術館ほど金屏風が映える美術館はないでしょう。

もちろん電気はない時代、今よりうんと暗かったであろう室内で、蝋燭や月明かりを反射する金屏風は、第二の照明としての役割も果たしていたようです。

 

目の前では初っ端から狩野派と長谷川派がガチバトルを繰り広げていました。

狩野派は豪壮でありながら、流派としての決まり事はきちんと守られていて、代々血族で受け継がれてきた伝統的な表現が見られます。

(狩野派の屏風はほぼ必ずと言っていいほど右隻と左隻に大木が一本ずつ、鳥は必ず番で描かれています。例外があったら教えてください…)

長谷川派は少ないモチーフを空間を活かして配置した瀟洒な作風でありながら、常識にとらわれない斬新な表現で金屏風特有の豪華さを醸し出しています。

 

琳派にも、金屏風の作品は多数存在します。もっとも有名なところは、俵屋宗達の《風神雷神図屏風》、尾形光琳の《燕子花図屏風》《紅白梅図屏風》などですが、今回はちょっとマイナー寄り。

推しの金屏風もなんと一点だけありました。抱一の金屏風は何点かありますが、図録とかでも見たことない作品だったので新鮮でした。(どうしても銀や素地のイメージが強い推し)

一番興味深いのは、池田孤邨の《燕子花・八橋図屏風》。作品名から分かる通り、尾形光琳の《燕子花図屏風》から着想を得たものです。右隻は金地に燕子花、左隻は銀の八橋が描かれておりますが、元々はこれらが一枚の裏表に描かれていたそうです。

金と銀が裏表に存在している屏風と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、尾形光琳風神雷神図屏風》と酒井抱一《夏秋草図屏風》。抱一の高弟で、推しの画風をよく倣った孤邨がこの作品を描いたのは、光琳の金地の裏に銀世界を描いた抱一へのリスペクト、オマージュといったものではな位でしょうか。

孤邨の作品には突出した特徴がなかなか見られないのであまり取り上げられることがありませんが、彼が推しの何に惹かれたか、研究してみると面白いかもしれませんね。

 

今回は新幹線で来たし余裕を持って出たはずなのに、あと3部屋ぐらい残したところで閉館まで30分アナウンスが流れたりして、いや美術品の前では時間計画なんて無になるなと実感。

 

次回の展示は土器らしくて、また足を運ぶことになりそう。

 

《武蔵野図屏風》の作者が判明する日はいつかくるのかしら…?

円山応挙から京都近代画壇へ

フジコです。

1ヶ月以上ぶりの更新になってしまいました。

どこも行ってなかったわけではなく、お盆期間だけでも4件行ってました。

ただなんでもかんでも文章にして書けるわけではないので、自分なりの考察めいたものが浮かんでアウトプットしたいものだけ書いていくことにします。

感覚的に綺麗だなー可愛いなーすごいなーと思いながら見たものは、変に文章にしようとすると陳腐なものになりそうなので…

 

前置きはこのぐらいで、さて今回はこちら↓

 

 

東京・上野  東京藝術大学大学美術館

円山応挙から京都近代画壇へ」

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前期と後期で大幅に展示替え。前期は8/9、後期は9/7に行きました。前期で次回のリピート割引券をもらったので、後期はちょっとお安く行けました。(後期行った時もまた割引券もらえた。欲しい人いたらあげます。)

 

展示の目玉は、応挙とその弟子たちが手がけた兵庫県 大乗寺の障壁画。大乗寺に行って実際にお寺の中で見られるのはレプリカですが、なんと本物が来ています。

この展覧会は東京で開催された後、京都国立近代美術館に移ります。見られる作品も異なり、障壁画も部分を替えて展示されます。

特に見所となる応挙の《松に孔雀図》は、東京では一本の松に一羽の孔雀、京都では二本の松に二羽の孔雀が描かれた場面を選んでいます。

前者は松の枝と孔雀の尾羽が、左上から右下に向かって視線を誘導するように平行に伸び、空間表現を活かした簡素且つ瀟洒花鳥画

後期は番の孔雀に覆いかぶさるように松の枝葉が茂り、ユートピアのような雰囲気を醸し出す様は、探幽以前の狩野派花鳥画を彷彿とさせます。

江戸好みと京好み。一つの作品から二つの側面を見出した企画者の鑑賞眼が伺えます。

 

この《松に孔雀図》ですが、金地に墨一色で描かれたはずなのに、松の羽は深い緑に、枝や幹は濃い茶色に、孔雀の羽はきらきらと輝く瑠璃紺に見えるのです。私たちの脳が勝手に色をつけているのでしょうか。ここまで観者の色彩感覚を刺激する水墨画は、それまで描かれてきたものとは一線を画しています。

 

大乗寺は、一昨年ゼミ合宿で実際に行っています。仏像専門のゼミではあったのですが、日本画を卒論のテーマに据えた私がいるのだからと、大乗寺を行き先の一つに加えることになりました。(収蔵庫で本物を見せて頂きました。夏だったのでおそらく通常は公開していない時期です。大学のゼミの力はすごい。)

障壁画のある客殿は、部屋の位置する方角と描かれているものから、空間全体が立体曼荼羅になっているのではないかという説があります。応挙は単なる絵師だけではなく、工房のリーダーとして空間プロデューサー・演出監督的な役割も担っていたと考えられるでしょう。

 

さて、これほどの大作を描き上げられるほど、応挙には多くの弟子がいたのですが、彼の写生に基づく新しい画風と独自の空間表現を江戸に広めた絵師がいました。渡辺南岳といいます。

南岳は酒井抱一(推し)や谷文晁らと交流し、円山派を江戸の文化人たちの間に広めました。

今回出展された南岳の作品の一つ《木兎図》では、木の幹を反転させたくの字に折り曲げ右側の空間を生かしています。

このような配置の仕方は、推しの《十二か月花鳥図》の中にも見られ、宮内庁本9月の構図と類似しています。

応挙の弟子である南岳が江戸で推しと交流し、応挙の技法を伝えた、南岳と推しの作品には共通点が見られるということは、推しが円山・四条派の影響を受けたことを示す確固たる証拠ではないでしょうか。私が勝手に確信しているだけかもしれませんが、こうして推しのルーツを辿っていって自分の中で納得する瞬間があるのが最高に楽しいのです。だから日本美術を見に行く。

 

卒論で花鳥画の歴史と変遷を書くにあたって、あまりにも細かく書いてるとテーマの本質が見えなくなる&そんな時間は無いという理由から、円山・四条派から派生した岸派や森派は省いてしまったのだけれど、きっとこの辺りまで詳しくやったらもっと面白いのだろうなと、本当に嘴がこちらに向けられているのかと錯覚するほどに立体的な岸駒の孔雀図を見て思うのです。花鳥画の魅力は尽きない。