《十二か月推事記》

フジコです。推しのことについて。

親友

先日、幼稚園・小学校・中学校が一緒で、小中に関しては9年間クラスが同じだった親友と、酒を飲み交わしながら話をしました。

 

彼女は恋愛経験が豊富で、幼稚園の頃から「好きな男の子」という概念が存在し、小学校でもそれは絶えず、高校に入ってからも会うたびに違う男が話題に上がるほどの恋愛玄人なのですが(でも4年間付き合った彼氏がいたというから私の頭の中で混同してただけの可能性もある)、対してど素人の私を卑下否定したり、恋愛を押し付けたりすることは決してない視野の広い人間なので、彼女が親友で本当に良かったと思います。私は所謂アセクシャルとかアロマンティックと呼ばれる人間だと思っていた、と言ったときに、「私も(フジコは)そうなんじゃないかなと思ってた。でもこっちから言うのは違う気がした。」と言ってくれたのはとても嬉しいことでした。

彼女の恋愛話は山のように聞いてきましたが、22年近い付き合いの中で、初めてお互いに恋バナをしました。私とそういう話ができることにとても喜んでくれました。私が好きな人の話をしたら、「話聞いてるだけで推せる…」「かわいい!」「それは、好きになっちゃうよ」と全肯定してくれたので話してて楽しかったです。オタクなので推しの良さがわかってもらえると嬉しい。まあそれだけ推し上司は素晴らしい人間なのですが。

 

親友は今定期的に会っている男性がいるようで、側から見たらどう考えてもカップルなのですが、当事者間ではその関係性に名前をつけていないといいます。その理由は、恋愛素人の私からしたら宇宙の真理に迫るような、玄人はとうとうその境地に至ったか…というものですが、縛られることを好まない彼女らしいなと思いました。幸せに向かっていけますように。

 

LGBTという言葉がありますが、それにクイアやクエスチョニングを足してLGBTQなんて言ったりもします。そもそもLGBは性的指向の話で、Tは性自認の話なわけですから、ひとまとめにすること自体に違和感を抱きますし、わからない、自分はどこにも分類されないと言っている人たちでさえ、結果的にはQという一つの括りに纏めてしまっています。それだけ今の社会は、多様性の尊重と言いつつも、便宜上という建前で「分類して名前をつけなきゃ気が済まない」のです。でも、"恋愛感情を抱かない人間"を表す言葉があると知ったときに安心感を得られたのもまた事実。人は、分類され何かしらの集団に属していると落ち着く生き物なのでしょう。

 

初めて異性に恋愛感情を抱いて、じゃあ自分がマジョリティになったと思うかと聞かれると、そうではないと思います。異性愛者の中でも、私みたいに一回り以上年上の人が恋愛対象になる人もいれば、同い年かせめて同年代ぐらいの人じゃないと嫌という人、うんと年下が好きな人(これは間違った方向に行くと犯罪になってしまう可能性が高いですが)もいるわけで、当然人間は一人ひとり違うので100人いれば100の指向が存在しますし、それは流動的なものなので、数年後には180度変わっているかもしれません。

私がまた次の恋でも男性を好きになるとは限らないし、もしかしたら今後、同性も含め他の誰にも恋愛感情を抱くことはないかもしれない。これが最初で最後の恋になる可能性だって十分あり得るわけです。

 

相手が既婚者である以上、この気持ちは絶対どこかで区切りをつけなければいけないし、私も好きな人も何年先までこの会社にいるかわからないし、少なくとも「好き」という想いだけは一生伝えないままでいるべきだと思うけれど、人間として尊敬するべき相手であることは間違いないので、憧れの人として心の中にはずっといてほしいなと、勝手ながら思っています。

 

とにかく今は、4月からも同じ店舗で直属の上司部下としてやっていけることを切に願っております。右腕なんて言ったら大袈裟だけど、少しでも信頼される部下になりたい!

 

 

P.S.恋愛玄人に、婦人科の検診は処女だとケツから超音波を当てられると話したら非常に驚いていました。これだけは素人にしかわからない感覚のようです。